築城年代は定かではないが河村氏によって築かれたと云われる。 弘安10年(1287年)河村景秀の四男秀通が女川郷蕨野に分地頭となり、この地に築いたのが始まりとされる。
延元元年(1336年)南朝方の河村氏は敗れ、このとき蕨野城も落城したという。
蕨野城は女川と藤沢川が合流する地点の東側、比高40m程の丘陵に築かれている。
丘陵の上は広く高低差が少ない地形で、ここに土塁と空堀で区画した曲輪を設けており、西の南北に二つ、東に一つの曲輪がある。虎口は何れも平入のようであるが、土塁には所々折れがある。
非常にわかりやすい地形で歩いたgpsのログがそのまま曲輪の形状のようになっている。
丘陵の先端、西麓に案内板があり、ここから山に通じる道がある。
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