越後 渟足柵えちご ぬたりのき/さく
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大化3年(647年)頃に大和朝廷によって築かれたと云われる。古代城柵の一つで渟足柵から磐舟柵(新潟県村上市岩船辺りが推定地)へと東へ移り蝦夷と対峙した。渟足柵は沼垂城とも書かれ養老年間(717年〜723年)頃までは機能していたと考えられている。
渟足柵の位置は諸説あり定かではない。東区小金町のお地蔵さんの背後に渟足柵の石碑がある。