築城年代は定かではない。
天文14年(1545年)長尾為景に敗れた唐人兵庫(武部兵庫正)が入城した。 永禄6年(1563年)には越中に侵攻した上杉謙信によって落城、その後揖美庄助五郎が城主となったが永禄9年(1566年)再び上杉謙信によって落城、家臣長尾小四郎景隆が城主となった。
謙信没後の天正7年(1579年)佐々成政によって落城し成政の家臣久世但馬が城主となった。天正9年(1581年)織田信長が催した馬揃えの為に成政が上洛している隙を突いて、上杉景勝は小出城を包囲したが、急ぎ引き返した成政らの軍勢が来援する知らせを聞いて包囲を解いて退いた。その後成政は、佐々喜藤次、佐々喜右衛門を城代として小出城に置いたという。
天正10年(1582年)本能寺の変が起こると、上杉景勝は魚津城を取り戻し小出城も落としたが、天正11年(1583年)体勢を立て直した成政は魚津城を攻め落とし、上杉方は小出城も明け渡して越後に退いた。
小出城は現在の小出神社付近に築かれていたという。 具体的な所在は不明であったが発掘調査によって神社の北方150m付近に堀跡が検出され、範囲は北の大通寺付近までと見られている。
現在は宅地・水田で表面遺構は残っていない。小出神社に案内板が設置されている。