築城年代は定かではない。
天文19年(1550年)の二階崩れの変で入田郷を追われた入田氏は、天正7年(1579年)か8年頃入田宗和のときに豊後に復帰することが叶った。しかし、入田郷ではなく緩木城や小松尾城などを居城とした。天正14年(1586年)入田宗和は積年の恨みから島津氏に味方して島津義弘軍を導き豊後侵攻を許した。しかし、豊臣秀吉の援軍が駆けつけ島津軍が豊後から撤退するとこれに従ったという。
緩木城は標高1046.0mの緩木山山頂に築かれている。比高500mもある高い山に築かれた城であるが、遺構は乏しく、山頂の主郭を中心に北と西に段曲輪がある程度で堀は見あたらない。
緩木山を経由として越敷岳に登る登山道が整備されており、登山口に駐車場も用意されている。
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