築城年代は定かではない。大友氏の家臣で若林水軍衆を率いた若林氏の城と考えられている。
若林氏の初見は建武年間(1334年〜1338年)に大友氏泰の使者となった若林源三居る。明応5年(1496年)頃には大友政親より若林上総介源六が佐賀郷内一尺屋残分14貫の知行を賜っており、ころころには一尺屋の地に居たと考えられている。
若林氏は丸尾砦を居城として水軍衆を率いていた。永禄12年(1569年)大友家に亡命していた大内輝弘を毛利の支配下になっている周防に上陸させて背後を脅かす作戦を実行する。このとき輝弘を周防に上陸させたのが若林水軍率いる若林鎮興で、毛利水軍を敗っている。天正16年(1588年)には、鎮興は大友義統から佐賀関の代官職に任ぜられた。
興鎮の家督を継いだのが若林統昌で、朝鮮の役にも従ったが、大友家が改易となると佐竹にお預けとなった大友義統に随行してこの地を去った。
一尺屋摺木城は北の山塊から南へ伸びた丘陵の標高153m程の所に築かれている。
一尺屋摺木城は大きく南北二郭からなり、ともに南北に長く伸びた曲輪で側面には概ね1m前後の石積が巡らされている。おそらく以前は周囲の山と同様に果樹園であったと思われるが、主郭は現在公園整備され、案内板なども設置されている。
国道217号線から少し集落内に入った所に「若林水軍城城址入口」とコンクリートに記されている。ここから車道が登城口脇まで続いている(地図)。
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