嘉永3年(1850年)佐賀藩によって築かれた反射炉である。反射炉は金属を大量に必要とする大砲などを鋳造するために鉄を溶かす施設で、石炭などによって発生させた熱を天井に反射させて熱を集中させることにより、鉄を溶かすほどの高温状態を作り上げるものである。
佐賀藩は築地反射炉の建設に成功して台場に据える大砲の製造に成功し、嘉永6年(1853年)には江戸幕府より大砲の鋳造を依頼され、多布施にも新たに反射炉を築き、品川台場などに据える大砲を鋳造した。
築地反射炉は日新小学校の敷地に築かれていたが遺構はない。学校内に小振りな反射炉の模型があり、案内板が設置されている。