寺沢広高の墓てらざわひろたかのはか
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寺沢広高は尾張出身で豊臣秀吉の家臣となり、文禄2年(1593年)岸岳城主波多親が改易となると、唐津一帯に封じられ唐津城を築いて居城とした。 関ヶ原合戦では東軍に属し、天草を加増され十二万石余りを領した。
寛永10年(1633年)4月11日に没した。
寺沢広高の墓は鏡神社境内の北端の一角にあり市指定史跡となっている。神社境内の一角であるが、墓園の入口は北西側からのほうが行きやすい。現在でも月命日に志摩守を偲んだ催しが行われているようで、訪ねた日も地元の方が集まっていた。