寺沢広高の墓てらざわひろたかのはか

城郭放浪記


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寺沢広高の墓の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
市指定史跡
説 明

寺沢広高は尾張出身で豊臣秀吉の家臣となり、文禄2年(1593年)岸岳城主波多親が改易となると、唐津一帯に封じられ唐津城を築いて居城とした。 関ヶ原合戦では東軍に属し、天草を加増され十二万石余りを領した。

寛永10年(1633年)4月11日に没した。

寺沢広高の墓は鏡神社境内の北端の一角にあり市指定史跡となっている。神社境内の一角であるが、墓園の入口は北西側からのほうが行きやすい。現在でも月命日に志摩守を偲んだ催しが行われているようで、訪ねた日も地元の方が集まっていた。

寺沢広高の墓の写真
3:鏡神社
寺沢広高の墓の写真
10:寺沢志摩守広高墓園
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.2km 東唐津駅
1.2km 虹ノ松原駅
2.3km 鬼塚駅
2.6km 和多田駅
3.1km 浜崎駅
所在地/地図
佐賀県唐津市鏡
付近の史跡(直線距離)
9.1km 波多三河守親遥拝塔(瑞厳寺跡)
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