大友義鑑の墓おおともよしあきのはか
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大友義鑑は豊後の戦国大名である大友氏第20代当主で、キリシタン大名として著名な大友宗麟(義鎮)の父である。
大友義鑑は天文19年(1550年)2月10日「二階崩れの変」と呼ばれる事件により、津久見美作、田口鑑親の襲撃を受けて重傷を負い、2日後の12日に没した。義鑑の遺骸は寺小路村に義鑑が建立したとされる「菩陀羅山到明寺」に葬られたという。
国道10号線沿いに道標が出ている。ここから少し入った民家の庭先にある。