仁科五郎盛信は甲斐の武田信玄の五男で、仁科家の家督を継いだ。天正10年(1582年)織田信長の嫡男信忠が大軍を率いて信濃へ侵攻した。大島城の武田信廉などはたいした抵抗もせずに城を破棄して甲斐へ引き上げるなか、仁科盛信は高遠城に籠もって信忠の開城勧告も無視して徹底抗戦した。しかし、わずか一日で高遠城は落城し、盛信は自刃して果てた。享年26。
仁科五郎盛信の墓は高遠城の南に聳える五郎山にある。これは戦後地元の農民たちが盛信以下諸士の屍を探して若宮原で火葬し、この山に葬ったことに由来するという。
白山トンネルの南口近くに林道入口があり、林道を登っていくと「五郎山」の道標が出ている。
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