誾千代は豊後大友氏の重臣戸次道雪の女で、高橋紹運の子宗茂を婿養子として迎えた。これがのちに立花宗茂と称し、豊臣秀吉の九州統一ののち、筑後国柳河城主となった。関ケ原合戦で西軍に属して一時改易となつたが陸奥国棚倉で大名に復帰し、再び筑後国柳河藩主となっている。
誾千代は慶長7年(1602年)に没しており、この誾千代の墓は寛永11年(1634年)に立花宗茂がつくられた供養塔である。
その形状から通称「ぼたもちさん」と呼ばれる誾千代の墓は腹栄中学校の南側にある。民家の前の細い路地を入った所にあり、東側の県道に道標が出ている。いまでも地域の方々によってきれいに管理されており、お花も添えられている。