三増合戦(三増峠の戦い)は永禄12年(1569年)に行われた北条氏と武田氏の戦いである。 永禄12年(1569年)小田原城を包囲するまで攻め入った武田信玄は帰路に三増峠を選択した。これに対して北条氏照と氏邦の軍勢が先回りして布陣し、後に北条氏康・氏政父子が駆け付ける予定であった。
緒戦は北条氏が優勢で武田氏の武将浅利信種が討死するほどであった。しかし志田峠から別働隊の山県昌景が北条軍の背後から襲いかかると、形勢は逆転して武田氏の勝利となった。結局北条氏康・氏政の軍勢は進軍途中で敗戦の報を聞いて引き上げた。