喜入肝付家墓所(玉繁寺跡)きいれきもつけきぼしょ
△トップに戻る
喜入肝付氏は肝付氏の庶流で、文禄4年(1595年)に加治木より喜入に入部して給黎城主となり、承応2年(1653年)に旧麓から肝付家仮屋に仮屋を移している。
喜入肝付家墓所は旧麓の南側、菩提寺であった玉繁寺跡の上にある。ここには三代肝付兼武、四代兼屋、五代久兼、六代兼柄、七代兼逵、八代兼伯、九代兼満、十代兼般、十一代兼善、十二代兼両の墓がある。
幕末の薩摩藩家老小松帯刀は肝付兼善の子である。