蒲生氏郷の墓(興徳寺)がもううじさとのはか

城郭放浪記


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蒲生氏郷の墓(興徳寺)の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
市指定史跡
説 明

蒲生氏郷は近江国蒲生郡日野の出身で、織田信長、豊臣秀吉に仕えて大名となり、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の後の奥州仕置きで、会津黒川城主となった人物である。

文禄元年(1592年)文禄の役で肥前名護屋に在陣中に発病し、一旦会津へ帰国、さらに療養のために京へ上ったが、文禄4年(1595年)伏見にて没した。享年40歳。

興徳寺の蒲生氏郷の墓は氏郷の嫡男で家督を継いだ蒲生秀行によって建立されたもので、興徳寺に知行二百石を寄進している。

蒲生氏郷の墓(興徳寺)の写真
10:蒲生氏郷の墓
蒲生氏郷の墓(興徳寺)の写真
12:蒲生氏郷 辞世の句
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.0km 七日町駅
1.4km 会津若松駅
1.7km 西若松駅
4.4km 南若松駅
4.8km 会津本郷駅
所在地/地図
福島県会津若松市栄町2
付近の史跡(直線距離)
1.9km 蒲生秀行廟
2.9km 会津藩松平家墓所
8.9km 伊佐須美神社
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