蒲生氏郷の墓(興徳寺)がもううじさとのはか
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蒲生氏郷は近江国蒲生郡日野の出身で、織田信長、豊臣秀吉に仕えて大名となり、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の後の奥州仕置きで、会津黒川城主となった人物である。
文禄元年(1592年)文禄の役で肥前名護屋に在陣中に発病し、一旦会津へ帰国、さらに療養のために京へ上ったが、文禄4年(1595年)伏見にて没した。享年40歳。
興徳寺の蒲生氏郷の墓は氏郷の嫡男で家督を継いだ蒲生秀行によって建立されたもので、興徳寺に知行二百石を寄進している。