元和元年(1615年)近藤登之助貞用によって築かれた。 五近藤家の本家にあたる金指近藤家の二代貞用は五千四百石余りを領し金指近藤陣屋を構えて初代旗本となった。
延宝5年(1677年)陣屋は500m程西の丘陵地帯に移された。(金指近藤陣屋iiを参照)
最初に設けられた金指近藤陣屋は金指駅の西、引佐高校から線路を南側に渡ったすぐ西側にある一段高くなったグラウンドに築かれていた。ここは「元屋敷」と呼ばれる地であるが、遺構らしいものは見あたらない。また、宝林寺は金指近藤家・気賀近藤家の菩提寺で近藤家の墓所がある。(地図)