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写真館(44枚)
- 史跡指定
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国指定史跡
- 別名
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高峰城,鴻峰城
- 形態
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山城(338m/-)
- 歴史
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弘治3年(1557年)大内義長によって築かれた。
弘治元年(1555年)陶晴賢が厳島合戦で毛利元就に敗れると、義長は毛利氏に備えて急拠築城することとなったが毛利氏の侵攻が早く完成を見ないまま籠城することとなる。
大内氏に属してした諸将が毛利氏に寝返るなど次第に不利となり義長は城を捨てて長門国且山城に逃走し長福寺で自刃した。
その後毛利氏は市川経好等を城番として置き城を補修した。
永禄12年(1569年)毛利氏は豊後国大友氏と筑前国立花城にて対峙したが大友氏は大内義興の弟高弘の子大内輝弘に兵を与えて山口に侵攻させた。
輝弘は高嶺城に攻め寄せたが急拠撤収してきた毛利軍の為、茶臼山に退きそこで自刃して果てた。
- 城主
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大内義長,毛利氏
- 所在地
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山口県山口市上宇野令字高嶺
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- 最終訪問日
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2006年4月
- 縄張図
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現地案内板より
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