下野 深津城しもつけ ふかづじょう
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築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)に宇都宮広綱の家臣小林豊後守によって築かれたと云われる。
千渡城を上の城と呼ぶのに対して、深津城は中の城あるいは中城と呼ばれている。
延命寺は小林豊後守の祈祷所であったもので、天正4年(1576年)に兵火で焼失したもので、江戸時代の寛永10年(1633年)に再建されたものだという。
深津城は現在の延命寺一帯に築かれている。延命寺の西側に堀跡が残り、南西部分で二重堀となる。この堀は南を通り武子川に合流する用水路になっている。