築城年代は定かではないが、藤田四郎入道宗遍によって築かれたと云われる。藤原純友の乱の鎮圧で功のあった藤田四郎入道宗遍が大見・松崎に所領を賜り築城したという。
その後、綾景則が大見に住んで大見六郎を称し詫間氏に仕えていた。大見氏は戦国時代には香川氏に従っていた。
大見城は標高222.8mの貴峰山(とみね)に築かれている。現在は山頂まで登山道が整備されている。
富士山型の円錐形の山でわずかに西側のみ毘沙古山と繋がっている。この急峻な山の山頂部にわずかに削平された地形があり、これが主郭となる。中央には天然の岩が露出したままで、削平はその周囲にわずかにあるだけである。
登山道は南麓の池の辺りにあり、民家の間の細い道を少し登ると案内板がある。山腹に「発心堂」があり、そこまで車で行くこともできるようである。
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