築城年代は定かではないが永正年間(1504年〜1521年)に九里氏や伊庭氏によって築かれたと云われる。
永正5年(1508年)室町将軍11代足利義澄は前将軍足利義尹が大内義興の軍勢とともに上洛してくるとの報を受けて京を脱し、朽木谷を経て水茎岡山城に迎えられた。義澄は将軍復帰を目論んだが達成することはできず、永正8年(1511年)に本城で没した。
水茎岡山城は琵琶湖に面した標高187.6mの岡山(大山)に築かれている。現在は陸続きであるが、かつては琵琶湖に浮かぶ島であった。
水茎岡山城は遊歩道が整備されて公園化されているのだが、実際訪れた時には鬱蒼と草が生い茂り、深いところは頭上にまで達する状態で、尾根上部分はあるくのが精一杯という状況で遺構の細かい部分は何も確認できなかった。
しかし、南の山腹には竪堀と段曲輪、石積などが拡がっており、中央南尾根にある巨大な竪堀や、麓にある弓形になった大きな横堀はまさに圧巻の規模である。
岡山の北東にある頭山部分にもかつて遺構があり、その間の鞍部では石垣が検出されている。この石垣部分が将軍の屋敷が構えられていた所ではないかと推測されているようである。現在この近くの頭山側に水茎岡山城の大きな石碑が建っている。
北麓から水道施設へ登る階段が登り口で、入口付近に駐車可能である。
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