築城年代は定かではないが税所氏(さいしょ)によって築かれたと云われる。 税所氏は治安元年(1021年)敦如が大隅へ下って曽於郡に居を構え、国衙の「税所職」を世襲したことから税所氏を称したという。
鎌倉時代には正八幡宮政所職・霧島神宮座主職などを務める大豪族となっていた。 文明15年(1483年)税所氏は帖佐城の島津忠廉を攻めたが敗れ、以降は勢力が次第に衰退していった。
橘木城は日豊本線が貫通する標高143mの山に築かれており、周囲は断崖絶壁の地形である。
主郭にはかつて観音様が祀られ参拝者用の休憩施設などもあったようであるが、現在はわずかに鉄塔があるのみで荒廃している。これらの建築によって地形も改変されているようであるが、周囲には平坦面と断崖地形が残っている。北へ続く尾根には堀切のような地形があるか、これも元々あった地形かもしれない。ここへは簡単に降りることはできず、道を大きく迂回してくることとなる。北西に伸びた尾根にも平坦面があり、この先から降りるルートが搦手とされている。
国分郷土館には橘木城にあった南北朝時代の供養塔が展示されている。
東の重久集落側から北尾根に向かって車道が付いており、この尾根上が南の主郭に向かって鉄塔整備用の林道がある。この林道をたどれば主郭に達する。
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