築城年代は定かではないが、文永11年(1274年)熊谷直則が来住して城を築いたのが始まりとされる。
熊谷氏が五代続いた後、赤松円心則村の孫、赤松越前守顕則が城主となり常磐氏を称した。その後代々常磐氏が続いたが、常磐甲斐守貞久のとき三春城主田村清顕の逆鱗に触れて城主を追われ、石沢修理亮が城主となった。
天正14年(1586年)田村清顕が嫡子なく没すると、田村氏は伊達派と相馬派にわかれて争われた。天正17年(1589年)相馬氏と岩城氏の連合軍によって攻められ落城し、石沢修理亮は主従百騎と討死したという。
常盤城は常葉小・中学校の北東背後に聳える標高536.4mの山に築かれている。現在は舘公園として整備されており主郭には模擬天守が建っている。
常盤城は山頂の本丸を中心に二の丸、三の丸、北の出丸、東の曲輪、阿弥陀堂といった曲輪群から成っている。公園になっていて歩きやすく切岸や曲輪が無数に点在している。
東の曲輪から阿弥陀堂の間には堀切があり、木橋が架かっている。阿弥陀堂の奥にも堀切があり切岸も高くなっている。
模擬天守(模擬 天守)
常葉小・中学校の東、県道154号線から公園の中腹にある駐車場へ続く車道がある。駐車場は三の丸近くにある。
最寄り駅(直線距離)