陸奥 関柴館むつ せきしばたて
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大永2年(1522年)松本長門(幽閑)によって築かれたと云われ。松本氏は蘆名氏の重臣である。
天正13年(1585年)松本備中守輔弘が伊達政宗に内通して伊達軍を領内に導いたが、蘆名軍に敗れ、輔弘は討死した。
関柴館は姥堂川の西岸に築かれていたという。谷間に開けた狭い段丘の上に字「館ノ内」があり、ここが関柴館と推定されているが、現在は畑となって遺構はない。