陸奥 北畑館むつ きたばたけたて
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詳細不明。伝承では関柴館主松本氏の支城の一つ。
『喜多方市史』に掲載されている明治15年の地籍図では南を除く三方に細長い地割が確認でき堀か土塁の名残と考えられている。現在は圃場整備で失われているが、水田の一角に稲荷社を祀った小さな土壇が残っており、これが西の地割と重複していることから土塁跡と考えられる。
また下の地図で「国土地理院(1961-1969)」を選択すると地割を航空写真で確認することができる。