陸奥 乙部館むつ おとべだて
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築城年代は定かではない。城主は乙部氏で乙部兵庫は斯波氏に属していたが、天正年間(1573年〜1592年)乙部義説のときに南部氏に従った。その後、南部氏はこの乙部館に福士左衛門を置いたが、天正20年(1592年)廃城となった。
乙部館は如法寺のある東西に伸びた舌状の丘陵に築かれている。
比高20m程の低丘陵の尾根を空堀で区画して曲輪を連ねた構造で、その西端に如法寺がある。案内板は東の尾根にある道路沿いに建っている。堀切の遺構は道路から確認できるが、曲輪は果樹園や宅地となっている。