陸奥 田中館むつ たなかだて
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天正8年(1580年)田中宗右衛門宗久によって築かれたと云われる。
天正7年(1579年)宗久の父田中太郎五郎吉祥は茶臼館の合戦で、津軽為信の身代わりとなって全身に銃弾を浴びて討死した。 この功によって百石の加増を賜った宗久が田中館を築いたという。 寛永11年(1634年)宗久の子田中勘右衛門の時、弘前城下に移り廃城となった。
田中館は南田中にある熊野宮一帯に築かれていたという。明確な遺構は残っておらずわずかに堀跡が水路として残っているという。