慶長14年(1609年)津軽信枚によって築城された。 築城当時は高岡城または鷹ヶ城と呼ばれていたが、寛永5年(1628年)弘前城に改められた。 石高約五万石の小大名に似つかわしくない程、壮大な規模を誇る弘前城は五層の天守の他に櫓が八基、城門が十二基そして三重の堀をめぐらしていた。 天守は寛永4年(1627年)に落雷により焼失したが文化6年(1809年)に3層の新天守を再建した。
弘前城は東北で唯一天守が現存する城郭で、現在は国指定史跡として整備されている。
弘前城は桜の名所としても知られ、ゴールデンウィーク前後に満開を迎えるが、はじめて満開の時期と重なり、午前6時に訪れたにもかかわらず早くも多くの人で賑わっていた。
弘前城は本丸が周囲より一段高く東は内濠・中濠・外濠と三重の水堀によって遮断し、西は蓮池、西濠によって遮断する。天守の他に、二の丸に未申櫓、辰巳櫓、丑寅櫓の三基の櫓が現存し、すべて三重の層塔形で意匠も似ている。また、櫓門も五基現存しており、見所の多い城郭である。
天守(現存 天守)
二の丸丑寅櫓(現存 櫓)
二の丸辰巳櫓(現存 櫓)
二の丸未申櫓(現存 櫓)
二の丸北門(現存 櫓門)
二の丸東門(現存 櫓門)
三の丸東門(現存 櫓門)
追手門(現存 櫓門)
二の丸南門(現存 櫓門)