むつ・みょうじょう

陸奥・名生城
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史跡指定
市指定史跡
  別名  
御所館,義隆館
  形態  
平城
  歴史  

築城年代は定かではないが観応2年・正平6年(1351年)斯波家兼によって築かれたと云われる。 足利氏の流れを汲む斯波高経の弟斯波家兼は貞和2年・正平元年(1346年)奥州探題として伊達郡霊山に下向し、3年後に志田郡師山へ移り、さらに名生城に居城を移した。この家兼が大崎氏の祖となり、家兼の二男兼頼が出羽国山形に入部して最上の祖となった。

大崎氏は奥州探題として広大な勢力を持ったが、度重なる内紛によって没落し、天文年間(1532年〜1555年)頃には実質上伊達氏によって支配されるまでになった。天正16年(1588年)大崎氏の内紛を鎮圧するために伊達政宗が出兵した時 、大崎義隆は最上義光に援軍を要請してこれを追い払うなど、伊達氏からの脱却を目論んだが達成することはできず、天正18年(1590年)小田原城攻めに参陣しなかったため、所領を没収され改易となった。

  説明  

名生城は江合川の西岸の河岸段丘の微高地に築かれている。大館、内館、北館、小館、群議評定所丸などから空堀と土塁で区画された曲輪群で構成されていたという。

現在は大半が宅地や田畑などになっているが、浄泉院の南東側に四方を空堀が巡った内館がその形状を良くとどめ、随所に空堀や土塁の残欠が残っている。

名生城は名生館官衙遺跡と場所がかぶっている。

  城主  
大崎氏
  案内  

名生館官衙遺跡または浄泉院を目指すのが良いでしょう。名生館官衙遺跡とは別に名生城の案内板が浄泉院へ向かう道の脇に建ってる。

 所在地 
宮城県大崎市古川大崎字城内
付近の城址
0.0km 陸奥・名生館官衙遺跡
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6.4km 陸奥・古川城

※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2010年4月
 縄張図 
現地案内板より
名生城縄張図

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