築城年代は定かではない。龍松山城主山本氏の家臣堅田式部善行が城主であったが、安宅氏に奪われ、安宅氏旗本北金右衛門の甥福田丹左衛門の城となったという。
要害山城(堅田城)は白浜駅の東に聳える標高50m程の山に築かれている。
西の山頂部が主郭で四方を土塁で囲んだ曲輪となっている。現状虎口のように開口しているのは南と北西であるが、北西は土塁を削って低くし、その部分に基壇を設けて社を祀っていることから後世の改変である。本来のルートは西からつづら折れで登って主郭の南西から北西、北東へと回り込んで、北東の土塁囲みの腰曲輪から入るルートが想定できる。また南の虎口は竪堀の間をつづら折れの道が残っており、このルートも有力である。
山頂から東へ伸びた尾根を馬場と呼び、この部分も城域とされるが堀切らしきものは確認できるが尾根上は自然地形のように見える。ただこの辺りは藪に埋もれているので十分見学できていない。
白浜駅前に1時間無料の駐車場がある。南の陸橋を渡った先に北へ降りる道があり、そこを降りると田畑がある。畦道を進んで西麓からつづら折れの道が付いている。
最寄り駅(直線距離)