築城年代は定かではないが明徳3年(1392年)以降に出羽祐直によって築かれたと云われる。
出羽氏はニツ山城を居城としていたが康安元年・正平16年(1361年)阿須那の藤掛城主高橋師光・貞光父子によって攻められ落城。以後、出羽郷は高橋氏の所領となっていたが、明徳3年(1392年)出羽郷七百貫のうち二百五十貫の領地を出羽氏に返還することで高橋氏と和議が調い、出羽氏は宇山に城を築いて居城とした。出羽氏の詳細はニツ山城を参照。
宇山城砦群は出羽郷のうち二百五十貫のみ返還され、名字の地である出羽郷に居城を移す事によって高橋氏の所領に囲まれた特殊な事情故に、城砦群を築いて備えたものと考えられ、これに対して高橋氏は向かいに田野原城を築いて監視していた。
宇山城砦群は山城である白鹿城・赤城・毛城と土居の信友城・樹光城から成る。
白鹿城は宇山城砦群のうち東へ伸びた尾根の先端頂部。標高460m付近に築かれている。
西尾根は堀切があったと思われるが、地形がかなり曖昧になっていて良くわからない。主郭は山頂部で東西に長く東に向かって段が伸びる。東下に一条の堀切があり、そこから南東方向に曲輪が設けられ、その先は南に向かって段が伸びている。
県道293号線から原村、上原地区に入る。上側という所から馬野原上という所を林道が走っている。この林道を上原地区から登って行くと「待避場」があり、北に赤城、南に毛城の入口がある。白鹿城へは赤城から東の標高515.0mの三角点を経由して尾根伝いに行った。戻りは西の迫から南の谷に降りて行く道があったが、下の方は笹が生い茂った小川が流れている。林道は舗装路で道は良いが、両側から生い茂った草木が車の側面にガンガン当る。
最寄り駅(直線距離)