築城年代は定かではないが鎌倉時代に益田兼高によって築かれたと云われる。 益田兼高は元暦元年(1184年)源頼朝の呼びかけに応じて一の谷の合戦に参加し、翌年の壇の浦の合戦でも戦功を挙げ鹿足郡を除く石見国五郡を与えらた。これによって那賀郡上府から益田に進出した兼高は、はじめ上久々茂土居、さらに大谷土居屋敷へと居館を移した。この大谷土居屋敷の詰城として築いたのが大谷城とされる。
益田氏が七尾城を築いて居城とした後は、家臣の大谷氏の預かりとなり、大谷兼光のときに大谷城主となったという。
大谷城は豊川小学校の北峰にある標高114mの山に築かれており、現在は大谷城公園として整備されている。
単郭の城で、主郭はすぐに薮化しそうな山であるが、きれいに伐採されており公園となっている。東へ続く尾根に自然の鞍部を利用した堀切がある。
国道191号線から石見西部広域農道に入る橋の所に案内板が建っている。それによれば、岸谷山道という大手道があるということであるが、こちらの道はわからず、南麓の川沿いに「八幡ソネ登山口」がある。(地図)
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