築城年代は定かではない。城主は松浦氏一族の本城氏と推測されている。
城主とみられる本城源壹は倭寇として活躍したのちに朝鮮王朝と正式な貿易を行えるようになったという。
生池城は比高40m程の丘陵に築かれている。 この辺りに多い円形プランの城ではあるが、周囲を巡る空堀は二重となり、虎口や横矢掛けが発達しているのが特徴で、壱岐の中世城館では優れた城の一つである。
曲輪は単郭で南北に長い楕円形で土塁が巡る。虎口とみられる開口部は西に一箇所、東に二箇所、北に一箇所あるが、北は明らかに後世に改変されており、本来の虎口かどうかは不明。西の虎口はやや南にあり、平入りで外側は土橋状となり、北にやや離れた位置に横矢の張り出しがある。一方東虎口は南北両側に二箇所あり、虎口部分自体がやや張り出している。この虎口付近には石積が残されている。
曲輪を巡る空堀はほぼ二重で、内側は深く外側はやや浅い。北側の外堀部分に畝堀のような仕切り土塁が数か所ある。
城の西に城名の由来となった「生池」があり、城の水場と推測されている。
近くまで車道があるが細いので車はどこかに置いてきた方が良いだろう。南の県道などに道標がある。