築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)に伊東祐尭によって築かれたと云われる。伊東氏48城の一つである。
長禄元年(1457年)小浪川の戦いで縣土持氏と財部土持氏を敗り、財部土持氏を滅ぼした伊東祐尭は日向北部へ勢力を伸ばし、門川城を築いた。永禄年間(1558年〜1570年)の城主は米良四郎右衛門であったという。
伊東氏が島津氏に追われ日向が島津氏の所領となると、島津氏家臣伊地知丹後守が城主となったが、天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐の後は延岡に入部した高橋元種の所領となり、元和の一国一城令により廃城となったという。
城は五十鈴川北岸の丘陵に築かれている。
主郭は南へ三段の曲輪があり、その周囲に濠が巡らされている。西に桝形虎口、南西には土橋が残り、周囲は畑や宅地となっているものの、土塁の残る曲輪など良好に残っている。