築城年代は定かではないが神代勝利によって築かれたと云われる。
三瀬氏の三瀬城に迎えられた神代勝利が居城として築いたのがこの谷田城で、三瀬城と併用していたと云われる。弘治元年(1555年)龍造寺隆信の軍勢によって攻め落とされたが、その後回復している。
谷田城は谷田集落の北に聳える標高300m程の山に築かれている。
谷田城は中央の谷間を挟んで東西両峰に曲輪を配していたようである。 西城は標高309付近を主郭とし、東側面に三条ほどの竪堀がある。曲輪は平坦ではあるものの切岸は甘い。東城はさらに曲輪の形状の曖昧で、作業林道によって破壊されている部分もある。
西側の県道275号線から林道がある。そのまま南の県道209号線まで抜けることができるが、こちらは狭い。