上杉景勝は文禄の役の時、越後国春日山城主九十万石の大名であった。 文禄2年(1593年)渡海して倭城の築城などに携わっている。
文禄4年(1595年)隠居した小早川隆景にかわって五大老の一人となり、慶長3年(1598年)会津百二十万石に加増転封となった。
上杉越後宰相(景勝) 五千騎。
上杉景勝陣は西へ伸びる丘陵に築かれている。「上杉景勝陣」は地図にも掲載されているが、地図によっては「九鬼守隆陣跡」と記されているものもあり注意が必要である。
陣の中心となる部分は内側に石積された土塁が巡っていたようであるが、陣は耕作破棄された畑であり全く整備されておらず藪となっている。辛うじて土塁と石積を確認できたが、数m歩くのも一苦労という状況で容易に見学できないのは残念である。
道標は南西の道路沿いにあるが、陣の案内板は東から丘陵の上に登る農道沿いにあった。