北条長盛は北条氏康の五男北条氏規の嫡男で小田原征伐の後、高野山に登った北条氏直に父氏規とともに随行した人物で、氏直の養子となり、氏直没後は北条家の名跡を継いでいる。
文禄の役の時、下野国内に四千石を領していた大名であった。 慶長5年(1600年)実父の氏規が没すると、その遺領である河内国七千石の相続が許され、下野国四千石と併せて一万一千石の大名となり、江戸時代には河内国狭山藩初代となった。
北條助五郎(氏盛) 二百騎。
北条氏盛陣は国民宿舎「波戸岬」から生駒親正の陣方面に続く遊歩道の北側に築かれていた。 遊歩道の中間地点からやや東側にあり、石塁とその近くに旗立石も残されている。