ひたち・しもつまじょう

常陸・下妻城
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史跡指定
市指定史跡
  別名  
多賀谷城
  形態  
平城
  歴史  

築城年代は定かではないが康正年間(1455年〜1457年)に多賀谷氏家によって築かれたと云われる。 多賀谷氏は武蔵国騎西荘多賀谷郷発祥で多賀谷左衛門尉家政を祖とするが、家政の出自については武蔵七党の野与党とも村山党とも云われ定かではない。

嘉吉元年(1441年)結城合戦で多賀谷氏家は結城氏に付き、結城城が落城すると結城氏の遺児を連れ出して結城氏の再興に尽力し、享徳3年(1454年)には古河公方足利成氏の命によって関東管領上杉憲忠を討ち、その功によって関荘を与えられ築城したという。

下妻多賀谷氏は戦国時代末期には佐竹氏との結び付きを強め、多賀谷重経は佐竹から宣家を養子に貰い受け多賀谷氏を継がせた。これによって重経の長男三経は太田城を築いて、太田多賀谷氏となる。 下妻多賀谷氏は佐竹氏の転封にともない出羽国久保田へ移って廃城となった。

  説明  

現在は本丸跡が多賀谷城址公園として残っているのみである。

  城主  
多賀谷氏
 所在地 
茨城県下妻市本城町2(多賀谷城址公園)
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※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2008年5月

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