築城年代は定かではない。『古城考』によれば城主は星子中務で隈府城主赤星道半統家の家臣であった。
天正5年(1577年)赤星氏と対立する隈部氏が龍造寺氏の加勢を得て長坂城に攻め寄せ、赤星氏は合志氏の援軍を得て迎え撃ったが敗れ、長坂城は落城、星子中務も討死したという。
その後、隈部氏の家臣有働兼元に預けられたが、天正15年(1587年)有働氏は肥後国人一揆で城村城に楯籠もったという。
長坂城の所在地ははっきりしない。『熊本県の中世城館』によれば浄正寺の墓地とその周辺が城跡と伝わっているようである。