築城年代は定かではない。永正7年(1510年)に関東管領上杉顕定から長尾景長宛てに出された戦況を伝える書状に「黒滝要害」として登場するのが初見で、永正の乱のなか上杉顕定が黒滝要害を攻め落としたことが知られる。
上杉氏の重要な番城の一つであったが、天文14年(1546年)と天文15年(1546年)の二度に渡って黒田秀忠が反乱を起こし、二度目は長尾景虎によって攻め落とされ、黒田氏は滅ぼされた。その後は山岸光祐が黒滝城主となった。
黒滝城は麓集落の西に聳える標高246mの山に築かれており、現在は黒滝城址森林公園として整備されている。
主郭は山頂にあって天神曲輪とも呼ばれ、背後に土塁が付いた小さな曲輪となっている。この主郭から北、東、南東尾根、さらに東側山腹に多くの曲輪群を配している。西へ伸びる尾根は大きな堀切とやせ尾根で防御しており、さらに背後の尾根には剣が峰の出丸もある。
主郭背後の峠まで車で登ることができ、主郭から二の丸、大連寺曲輪、大兵溜曲輪群、吉傳寺曲輪、三の丸を経て戻ってくる遊歩道なども設置され、簡単に城内を散策することができる。
麓集落から北の谷間を通る県道440号線に入って行くと大手門の石碑や森林公園の案内板が設置されている。さらに奥へ進んでいくと南の山へ登っていく道があり、それを進めば主郭の西背後の峠まで行くことができ、そこに駐車可能である。(地図)
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