慶長14年(1609年)前田利長によって築かれた。 慶長10年(1605年)前田利長は隠居して富山城へ移ったが、慶長14年(1609年)に火災によって主要な建物を失った為、魚津城へ移り、高山右近の縄張りによって新たに高岡城を築いて居城とした。
慶長19年(1614年)利長が没した後、大坂の陣では留守将が置かれたが、後に廃城となった。 建物は破棄されたものの廃城後も塁豪は維持され、今でもその原形をよく留めている。
高岡城は現在高岡古城公園となっている。市街地にある平城で比較的早くに廃城となったにも関わらず縄張が非常によく残されており、近年国指定史跡となった。
射水神社の境内や本丸広場となっているところが本丸、南西の高岡市民会館のある所が二の丸、東の市民体育館のある所が三の丸、博物館の所が鍛冶丸、動物園の所が明丸、北の小竹藪駐車場の所が小竹藪であった。
周囲には水堀が巡り土塁も一部残る。石垣は二の丸と本丸を結ぶ土橋に築かれている。大手は南の鍛冶丸への入口で国指定史跡の石碑が建てられた。
周辺に無料駐車場がある。広いのは北の小竹藪の駐車場である。
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