越中 放生津台場えっちゅう ほうじょうづだいば
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嘉永3年(1850年)加賀藩によって築かれた。 加賀藩主前田斉泰が台場を見分したとき、放生津八幡宮に参拝したという。
放生津台場は放生津八幡宮境内付近に築かれていたという。 「城郭・陣屋・要害台場辞典」によれば、境内の北側にある「奈呉之浦」の碑が建っている所が台場の土塁跡だという。現在境内の東側から北側にかけて土塁状の境界がある。現在北側にも道路があり港になっているが、古いコンクリート堤防が残されているで、かつてはすぐ北が海であったことはわかる。