えっちゅう・みやざきじょう

越中・宮崎城
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宮崎城の写真 写真館(55枚)
史跡指定
県指定史跡
  別名  
荒山城,泊城,境城,堺城
  形態  
山城(249m/209m)
  歴史  

築城年代は定かではないが寿永年間(1182年〜1185年)に宮崎太郎長康によって築かれたと云われる。

寿永元年(1181年)源義仲は都落ちした北陸宮の御所を八幡山(城山)に築き奉じたといわれ、このとき在地豪族の宮崎太郎・南保二郎・入善小太郎などの名が見られる。

宮崎城の名が史料に現れるのは南北朝時代で、越後守護上杉憲顕の家臣長尾景忠が南朝方の籠もる宮崎要害で勝利を得たとあるのが唯一という。

越後との国境にある宮崎城はその後も重要視され、椎名氏の家臣や越後の上杉氏の家臣などが在城した。戦国時代末期になると越中へ侵攻した織田軍は松倉城魚津城を落とし、越中に入国した佐々成政の家臣が在城した。成政の後は前田氏の家臣高畠織部が在城したが、後に廃城となった。

  説明  

宮崎城は笹川東岸の城山山頂に築かれている。 主郭は標高248.8mの城山山頂にあり、北端中央に小高くなった土壇があり、一段下がって曲輪が拡がる。主郭の西下が二の丸、さらに尾根の先端部が三の丸という。 三の丸は南端に石塁が残っており、ここに北陸宮の御墳墓と宮崎太郎長康の供養塔がある。三の丸から北に遊歩道に沿って降りていくと七曲がりの堀切に至る。

本丸の南側は本来は堀切であったが、太平洋戦争時に旧陸軍が土橋を架け、その南の公園になっている平坦面も旧陸軍による削平が行われ旧状を失っている。この辺りにも堀切などが残ることから城域であったと思われる。

  城主  
宮崎氏,上杉氏,佐々氏,前田氏
  案内  

国道8号線横尾西交差点を東へ曲がり県道103号線を東進する。北陸道の高架橋下を潜って少し進んだ所に左上に登っていく道があり、ここに道標が出ている。このまま車道を進んで行くと山頂近くの駐車場に至る。

 所在地 
富山県下新川郡朝日町宮崎字城山
付近の城址
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1.0km 越中・扇山砦
1.1km 越中・上百山砦
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1.3km 越中・横尾城
3.6km 越中・南保城
4.7km 越中・館の城
9.3km 越中・舟見城

※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2010年7月

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