築城年代は定かではないが応安年間(1368年〜1375年)に三善石見守朝宗によって築かれたと云われる。 三善朝宗は鎌倉問注所執事三善康信の子孫で、応安年間(1368年〜1375年)に備後より氷見荘池田村に移り住んだという。
三善氏の子孫は小浦氏を称し、天正4年(1576年)頃には小浦一守が上杉謙信に属していたという。その後、佐々成政に従ったが秀吉に降って肥後に移ると小浦氏もまた肥後へ移った。しかし、肥後国人一揆によって佐々成政は所領没収となり、小浦一守は能登羽咋郡飯山に移って松原斎安と称し、その子孫は前田氏に仕えたという。
小浦城は標高90.3mの山に築かれており、現在は公園として整備されている。
山頂の主郭を中心に西、東、南東の三方の尾根に伸びた曲輪に帯曲輪、腰曲輪を展開しており、尾根先は堀切で遮断していたようである。
東側の県道から山腹の駐車場まで車道があり、そこから遊歩道が整備されている。
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