築城年代は定かではない。南北朝時代に桃井直常の軍勢が千久里城などを拠点とし、能登の吉見氏頼らがこれを攻めている。また、井上氏も千久里城を拠点としていたが、これも能登勢によって攻め落とされている。
千久里城は氷見ICの西に聳える標高137.3mの竹里山に築かれている。南北朝時代の歴史しか知られていないが、現在残る遺構は戦国期のものである。
千久里城の最高所は三角点があり無線アンテナの建つ所であるが、手狭であまり削平されておらず、物見のような役割であったと思われる。山頂の北下に広い曲輪があり、これが主郭で、北東側に堀切を挟んで二つの大きな曲輪がある。また東尾根は細い尾根筋に段曲輪を設け、東端部は土塁を伴う曲輪となっている。
主郭から北東に並ぶ三つの曲輪の規模は大きく、それぞれ大きな空堀によって遮断している。北西、北、北東などに伸びた尾根にはそれぞれ堀切で遮断しており、規模も大きく明瞭である。主郭の側面は熊笹が生い茂っているが一部横堀になっている。
東麓の中尾集落と西の上田集落を結ぶ林道が山頂近くを通っている。しかし林道沿いは切り立った岩肌であり、登山道は山頂から道路沿いに南東に伸びた尾根の先端付近にある。登山道近くの道はやや広く、駐車できる。
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