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写真館(38枚)
- 形態
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山城(193m/175m)
- 説明
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築城年代は定かではない。
天正14年(1586年)島津氏は大友氏を攻略するため北上し鶴賀城で対峙した。
幾度となく島津軍が攻め寄せたが落城せず羽柴秀吉からの援軍である仙石秀久、長宗我部、十河らが対岸の鏡城に着陣した。
仙石秀久は島津軍が退却するのを知ると長宗我部、十河が反対するのをかまわず追撃するため渡河を強行する。
それを知った島津家久は渡河するのを待ち渡河し終ると伏せておいた兵で一斉に攻撃し戸次統常、長宗我部信親らを討ち取った。
敗戦の報を受けた大友義統は府内から高崎山城に入りさらに龍王城に逃れた。
登り口が少々分かりづらい。国道10号線から長宗我部信親の墓のある山に行く道がありそれを南東に進むと右側に「緑桃」と書かれた看板がある。これの手前(北側)にコンクリート工場に入る道と今来た道に並行に降る道がある。この並行に降る道を突き進めばY字路にあたるのでそれを左に進めば城址だ。
悪路ではあるが車でも行ける。
写真の最後に登城口を撮っておいたので参考にどうぞ。
- 城主
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利光氏
- 所在地
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大分県大分市大字上戸次字利光
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付近の城址
1.5km 豊後・鏡城
※距離はおおよその直線距離です。 海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。
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- 最終訪問日
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2005年12月
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