豊後 烏岳城ぶんご からすだけじょう
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築城年代は定かではない。天正14年(1586年)島津軍が豊後に進攻したとき、堀相模守が守っていた。この戦いで島津義弘軍の北郷忠虎、三久兄弟が烏岳城を攻め、堀相模守は城から討って出て敗れたという。
烏岳城は標高683.7mの烏嶽に築かれている。
烏獄山頂に広い曲輪があり、西側が小高く土塁状になり、東側が広く削平されている。南端が一段小高く南に続く尾根に浅い堀切が残り、さらに南に小さな削平地がある。
北東尾根先にあるトンネルの東口近くに登山道入口の案内がある。