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写真館(42枚)
- 形態
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山城(327m/227m)
- 歴史
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大永年間(1521年〜1528年)金川城松田氏の家臣服部伊勢守が築城したといわれるが定かではない。
その後、松田氏家臣の伊賀氏の居城となるが宇喜多氏の台頭により血縁関係を結び金川城を攻めた。
天正2年(1574年)毛利氏が虎倉城に侵攻してきた時、伊賀久隆はこれを退ける戦功をあげた。
しかし、宇喜多氏は外様である久隆が邪魔となり暗殺しようとしたが失敗する。
久隆没後、伊賀与三郎は毛利氏を頼って備中に逃れると宇喜多氏重臣の長船越中が居城とする。
天正16年長船一族の不仲により越中は死亡し城は焼失した。
- 説明
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案内板を見て登山口を探すが林道がわからず南麓から登った。
墓地へと続く道が入り組んでいるが、山上に向かう道を探し出し登る。
途中から道は踏み跡を辿るようになり、一気に尾根に駆け上がりなんとか南側の出丸へとたどり着く。
南側出丸は中央が高く南北に一段曲輪がある。
一旦下って北側に登ると二の丸へとたどり着く。
二の丸、大手曲輪は竹林となっている。
本丸には石碑が建ち、西側には石積が残る。
北に向かうと三の丸があり堀切を越えて下ると北側の出丸へと続く。
- 城主
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伊賀氏,長船氏
- 案内
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県道31号線虎倉トンネル手前を市場集落に入ると山側に小さな社(三十番神社)があり、ここに案内板がでている。
登山口はここから山に向かうと自然と左手に曲り、やがて小川に架かる橋にでる。
橋を渡らず手前を右折して工場を越えて北に向かえば登山口があり、少し手前(橋がある)までは車で行ける。
- 所在地
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岡山県岡山市北区御津虎倉
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- 最終訪問日
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2007年3月
- 縄張図
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現地案内板より
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