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写真館(21枚)
- 別名
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信夫山城,四畦忍山城,忍ノ城
- 形態
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山城(240m/-)
- 歴史
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築城年代は定かではないが16世紀後半に伊賀伊賀守によって築かれたと云われる。
陰徳太平記 巻61「備中国四畦忍山城没落之事」、安西軍策 巻6「備中国忍山城没落事」として登場する。
吉川元春によって美作国で数箇所の城を落とされた宇喜多直家は、この恨みを晴らす為、忍山城に宇喜多信濃守、岡剛介を配置し毛利方の城の攻略を目指した。しかし、これを察知した毛利方は毛利輝元、吉川元春、小早川隆景等三万騎(安西軍策では二万騎)を以て押し寄せる。
まず吉川経言が二千騎(安西軍策では一千騎)で攻め寄せるが、宇喜多側の援軍五千騎が押し寄せるのと報を聞き退ぞく気配を見せた。
これを見た城方は城から打って出たが、逆に経言が諸軍に下知を成して攻め寄せた為に城方は後陣から崩れ城中へと逃げ返った。
勢い付いた経言は山下を焼き打ち城を取り囲んで、夜半に城中に火を放ち外から攻め寄せた為、城中は混乱しやがて落城した。
- 説明
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県道72号線上高田トンネルの上が城址である。
南北に伸びる尾根沿いに曲輪が並べられた連郭式山城である。
尾根北側の頂部には中央にこんもりと土が盛られ小社が奉られていたような跡がある。
その北側は切岸で落ち込み堀切となり更に北側に数条の連続堀切がある。
この堀切は西側に向かって竪堀のように落ち込んでいるが途中で途切れているようにも見える。
北側の頂部にある曲輪から南に向かって曲輪が連続して配置され、所々堀切が残っている。
- 城主
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伊賀伊賀守,桂左衛門大夫,岡宗左衛門
- 案内
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県道72号線上高田トンネル西の観音院から登る事ができる。
観音院から竹薮に向かって延びる道を行けば城址にたどり着きそうだが、直登してしまったので不明。
- 所在地
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岡山県岡山市北区上高田
- 周辺施設
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温泉・入浴施設 |
9.7km |
苫田温泉 |
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- 最終訪問日
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2007年3月
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