びんご・わしおやまじょう

備後・鷲尾山城
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鷲尾山城の写真 写真館(90枚)
史跡指定
県指定史跡
  別名  
鷲城,霊鷲城,釈迦ヶ峰城
  形態  
山城(330m/200m)
  歴史  

建武3年・延元元年(1336年)杉原信平・為平兄弟によって築かれたと云われる。 杉原(椙原)氏は丹波国椙原発祥で桓武平氏。平貞盛を祖としているが、平清盛の四代孫秀衡の子恒平を養子に迎えていることから平秀衡の後裔とも称している。

椙原胤平の子、信平・為平兄弟は再興をかけて九州へ落ちた足利尊氏にしたがって九州の多々良浜の戦いで功を挙げ、木梨十三か村(尾道・後地・栗原・吉和・久山田・木原・猪子迫・白江・三成・市原・木梨・小原・梶山田)を領し鷲尾山城を築いたという。

鷲尾山城主は信平・光守・元盛・元直・光恒と続いたが、天文12年(1543年)尼子晴久の軍勢によって攻められ鷲尾山城は落城、杉原光恒は自刃して果てた。 光恒の子隆盛(始め高盛・元清とも)は大内義隆の助力を得て鷲尾山城主となり釈迦ヶ峰城と改められた。

元亀3年(1572年)石原忠直に攻められ落城。高盛も討死してその子元恒は本郷城主古志豊長を頼り、後に小早川隆景の助力で石原氏を討って釈迦ヶ峰城を取り戻した。

天正12年(1584年)元恒は千光寺山城を築いて移り廃城となった。

  説明  

鷲尾山城は門前集落の北東背後にある標高330mの山頂に築かれている。

鷲尾山城は山頂に主郭を置き、そこから北西に伸びた尾根と南西に伸びた尾根に曲輪を設けている。

北西の尾根は階段状に小郭が連なり、北端の鞍部に堀切を設けて遮断している。主郭に近い部分には西側に石積が残り、中間の小郭は北東側に土塁が付いている。北端の曲輪は北側と東側に石積が残っている。この小郭の西下に通路があり先端部から主郭の二段下までは、この西下の通路を延々小郭からの横矢を受けながら進むようになっている。

南西に伸びる尾根にも同様に小段が続いているが、こちらは先端付近がかなり急峻で堀切は付いていない。

  城主  
杉原氏
  案内  

国道184号線木梨口から県道384号線に入って北上する。やがて一目で城山とわかる山容が目に入る。門前の集落に入ると惣門跡の標識がある。ここから左の道へ入っていくと城照庵があり、案内板が設置されている。小型車なら前の道を車で登り標高250m付近の林道終点まで行くことができ、その途中には五輪塔群がある。

 所在地 
広島県尾道市木ノ庄町木梨字大平
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※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2011年1月

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