大村益次郎は文政8年(1525年)5月3日に長州藩の医者の子として生まれた。医学を学び、蘭学、洋学、漢学などを学び、嘉永6年(1853年)には蘭学者として宇和島藩伊達家に招かれて禄を得る。その後、長州藩士となり幕府の長州征伐では参謀としてこれに対応して幕府軍を討ち破った。維新後は兵部大輔として活躍したが、明治2年9月4日に京都で襲撃され、その傷がもとで11月5日に没した。
大村益次郎生誕宅跡は四辻駅の南西300m程の所にあり、現在は公園として整備されていて駐車場もある。大村益次郎は誕生後約3年で父の実家のある秋穂の天田へ移っている。