毛利元鎮の墓もうりもとざねのはか
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毛利元鎮は毛利元就の九男で小早川隆景の養子となった毛利(小早川)秀包の嫡男である。母は大友宗麟の娘孝子君(引地君)であった。小早川秀包は筑後国久留米城主であったが、関ヶ原合戦で西軍に属し、その帰路赤間関で没した。筑後久留米は改易となったが、元鎮が毛利輝元より滝部三千石を賜り、翌7年に滝部、殿居、阿川併せて五千石を領した。この家系が吉敷毛利となる。
毛利元鎮の墓は殿居にあり、見竜寺から山へ少し入った所に自然石の墓碑がある。