三好長治終焉の地みよしながはるしゅうえんのち
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三好長治は三好実休(義賢)の嫡男で父の戦死後に家督を継ぎ、三好氏の中で阿波・讃岐などを治めた。幼小で家督を継いだため篠原長房の補佐を受けていたが、元亀4年(1573年)には長房を上桜城に攻め自刃に追いやった。
その後、自身の暴政に反発した異父兄の細川真之と対立、天正5年(1577年)長宗我部元親の支援を受けた真之と荒田野で戦って敗れ自刃した。享年25歳であった。
『三好長治終焉の地』は豊岡神社の南にある。かつては長治ゆかりの大松があったが、落雷で焼失し現在は二代目の松がある。