三好長治終焉の地みよしながはるしゅうえんのち

城郭放浪記


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三好長治終焉の地の写真
掲載写真数
種類
史跡
文化財指定
町指定史跡
説 明

三好長治は三好実休(義賢)の嫡男で父の戦死後に家督を継ぎ、三好氏の中で阿波・讃岐などを治めた。幼小で家督を継いだため篠原長房の補佐を受けていたが、元亀4年(1573年)には長房を上桜城に攻め自刃に追いやった。

その後、自身の暴政に反発した異父兄の細川真之と対立、天正5年(1577年)長宗我部元親の支援を受けた真之と荒田野で戦って敗れ自刃した。享年25歳であった。

『三好長治終焉の地』は豊岡神社の南にある。かつては長治ゆかりの大松があったが、落雷で焼失し現在は二代目の松がある。

案 内
最寄り駅(直線距離)
5.7km 金比羅前駅
5.8km 教会前駅
5.9km 撫養駅
6.3km 立道駅
6.5km 鳴門駅
所在地/地図
徳島県板野郡松茂町豊岡山
付近の史跡(直線距離)
6.1km 蜂須賀家墓所(興源寺)
6.9km あま塚
8.0km 一宮城移築門(清水寺)
8.1km 小宰相局の墓
8.7km 蜂須賀家墓所(万年山)
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